第5話前編「nocoritaと能古島サイダー」
登場人物
noconico cafe
柴田洋幸さんと祥子さん
ウィロー
浅羽雄一さんと八智代さん
のこのしまアイランドパーク
松藤朋美さん
小さな島から生まれた、
大きな夢とふたつのサイダー。
潮風にふかれ、フェリーに乗り、小さな旅を楽しんで能古島にやってくれば、
そこには柴田洋幸さんと祥子さんご夫婦が営まれる「noconico cafe(ノコニコカフェ)」があります。
島に移住してきた若者はもちろん、島の子ども達や農家のおばちゃん達もここの常連さんです。
「nocorita(ノコリータ)」と「能古島サイダー」は、そんなカフェのオリジナル商品。
今回は、島のハッピーな空気をそのまま炭酸水に溶かしたような、2つのサイダーのよみものです。
すべては「ノコニコカフェ」から始まりました。
能古島は、福岡市内からフェリーで10分ほどで到着できる、ひょうたん型の小さな島です。菜の花やコスモスの時期などは、市内外から多くの観光客が訪れ賑わいます。この島の港のすぐそばで人々を迎え入れるように佇むのが、柴田洋幸さん(以下:シバさん)と祥子さんご夫婦が営まれる「ノコニコカフェ」です。
もともとは能古島に訪れたフランス人のニコラさんが島を気に入り、英語も日本語もおぼつかないまま、オープンさせた手作りカフェ。実は最初はシバさん夫婦も常連さんだったのだとか。ところがある日、ニコラさんが日本を去ると聞いて…「それまでは島で違う仕事をしてたんですが、私たちが引き継ぎました」と祥子さん。店内にはいつも陽気な音楽とニコニコと笑顔で接客するふたりの姿があります。
初めて島にきた人にとってはワクワクをさらに高めてくれる存在であり、島の人にとってはノコニコが開いているとホッとする、そんな憩いの場になっています。「nocorita(ノコリータ)」は、このノコニコカフェのオリジナルサイダーとして誕生したのです。
地震に負けん!きっかけは、福岡西方沖地震。
オリジナルサイダーが生まれたきっかけは、2005年3月20日に島に襲った「福岡西方沖地震」でした。能古島自体には甚大な被害はでなかったものの、客足はすっかり遠ざかり、島はこれまでにない危機を迎えていました。当時、シバさんご夫婦はカフェを引き継いだばかり。そんな時、浅羽さん(「こどもびいる」の仕掛け人。詳しくは第1話「こどもびいる」にて紹介)がノコニコカフェにやって来たのです。祥子さんはその時のことを鮮明に覚えています。
「ある日、突然『僕はここの常連客なんです』って浅羽さんがやってきて。初めましてのあいさつをして楽しく話していたんですが、その日の夜になってすっごい長いメールが送られてきて(笑)」。シバさんもうなずきながら「長かったね。普通は夜に書いたら朝に見直して短くしたり送るのやめたりするでしょ。でも、長文のまんま送られきた感じ(笑)」。それは「一緒にオリジナルサイダーをつくらないか?」という熱烈なラブレターだったのです。浅羽さんは「いや~、なんとなく、この島でこの夫婦とサイダーを作ったらきっと面白いだろうなぁって思って。ちょうど地震でお客さんも減ってるらしいから、島にはお土産品もなかったし、あるといいんじゃないかな」とシバさん夫婦にオリジナルサイダーづくりを持ちかけたのだそうです。
太陽の光をたっぷり浴びて育った
能古島産の甘夏のサイダー「nocorita」
日本中を探してもオリジナルのサイダー商品があるカフェなど、そうそうありません。しかし、シバさんは「よく考えたら販売元はウィロー(浅羽さんご夫婦の会社)。販売代理店がノコニコカフェやからね。悪い話じゃないし、いいかなーと」とラブコールを快諾します。浅羽さんも「どうせなら他の人がやらないようなやり方で楽しくやりたいし。当初から島の名物で終わるのではなく、小さな島から全国区のブランドを目指す心意気でやって、小さいけれどキラリと光るブランドにしたかったから」と語ります。こうして「こどもびいる」を始め友桝飲料での経験を活かして、能古島で4月頃~7月頃に獲れる甘夏の果汁を加えた「nocorita(ノコリータ)」を開発したのです。
ラベルには、能古島に暮れていく夕日のように大きな甘夏がダイナミックに描かれています。これはデザイナーである妻・八智代さんのお仕事。一見、手描きに見えますが「いや、これは一度、手描きで作ったのをパソコンに取り込んで加工して仕上げとうとよ。名前もいろいろ変わったし、当時はすごい力が入っていて、他にもまだ何案も作ってたんよ。名前も最初はノコリーナだったけど、語呂とか響きを考えてノコリータにしたっちゃんね」と八智代さん。ノコリータは、能古島とセニョリータ(señorita:お嬢さん!)の造語とのこと。ノコニコカフェや島の陽気なイメージともぴったりと合います。
「横文字はよう分からん」「売れると?」
島の人たちのまさかの反応。
こうして形になってきた「ノコリータ」。4人は、島の人たちと一緒に「ノコリータ」を広げたかったので、能古島にできたばかりの観光協会へ、オリジナルサイダー「ノコリータ」の企画を説明することにしたのです。能古島観光協会もまた地震をきっかけに「どうにかしなくては」と思った島の人たちが立ち上げたものでした。同じ志を持っているもの同士、それはいい!と賛同してくれるのか、と思いきや…「ノコリータ?横文字でよく分からん」、「自販機で100円で買える時代に200円もするサイダーが売れるとね?」「それが売れたら自販機のジュースが売れんくなるっちゃないと?」といったネガティブな意見がでてきたのです。
当時はまだ「地サイダー」という言葉はなく、突然でてきたオリジナルサイダーの話は、島の人たちにとって想像が追いつかなかったのかもしれません。思わぬ展開に困惑した4人。そこに助け舟を出したのが、アイランドパークの広報スタッフとして観光協会に参加していた松藤朋美さんでした。