第1話「こどもびいる」前編
王冠にラベル、小さなビール瓶を傾けてトクトクトク…プハーッと飲むのは、子どもたち。
それもそのはず「こどもびいる」は、リンゴ味の炭酸飲料です。
実はこの商品、大ヒットを目指して開発したもの、ではありません。
それは、ひとりのもんじゃ焼屋店主によるお客さんへの気くばりと遊び心から始まりました。
登場人物
友桝飲料 代表取締役社長
友田 諭(文中:友)
こどもびいるの発案者
元もんじゃ鉄板焼下町屋店主
有限会社ウィロー代表
浅羽 雄一(文中:浅)
「こどもびいる」は
「おとなびいる」?
1998年、美野島商店街を抜けた先の路地裏に、福岡では珍しいもんじゃ焼専門の居酒屋がオープンしました。その名も「下町屋」。当時、店主を務めていたのが、浅羽雄一さんです。
- 「こどもびいる」のきっかけはなんですか?
-
浅羽
さん以下、浅元々珍しいものが好きだったこともあり、僕の店には珍しいお酒や、様々な珍しいジュースを置いていました。ある時ビールの小瓶に入ったガラナという炭酸飲料を見つけ、これはおもしろいと店に置き始めたのですが、全然売れない(笑)。そんな時、宮崎出身のアルバイトから「宮崎では、子どもたちがガラナというジュースで乾杯をする」という話を聞いて、メニューに「こどもビール」と書き直して販売したのが最初です。そしたら注文がぐんぐん伸びてきて。それじゃ、もっとビールに近づけようと自作のラベルを貼り替えたんです。ガラナという商品名を書いていた時は全然売れなかったのに、名前やデザインを変えて工夫することで、売れるようになったのは驚きでした。ただビール瓶って飲料メーカーさんが回収して洗浄して何度も使う物なので、メーカーさんの中で「回収した瓶に見慣れないラベルが貼ってあるけどなんだろう?」という話になっちゃって(笑)、人気があったこともあり、貼り替え作業も大変になったから、ちゃんとお願いしようと思ったのがきっかけです。
- なるほど。ラベルまで作りこむなんて、真面目に遊んでいる感じがしますね。笑
-
浅:
いやー、「こどもびいる」って、子どものために作った飲みものと思われがちなんですけど、そもそも大人のために考えたものなんで「本物感」は一番大切だと思ってたんです。
- こどもびいるって、子どもの飲みものではないんですか!?
-
浅:
そう。やっぱ店にみんなでワーとやってきて乾杯する時に、やっぱビールが飲めない人もいるでしょ。ノンアルコールビールも最近は多いけど、ビールが苦手な人ってビールの味が苦手なんですよ。じゃ、ウーロン茶っていうと、おまえ、今この流れでウーロン茶って盛り上がらんやろーってなってしまうんだけど、こどもびいるがあると「なに?それビール!?」って、むしろ主役になれる可能性があるじゃないですか。飲食店としては、それはあるといいなーと。
- お客さんみんなが楽しめているか、隅から隅まで気を配る店長ならではの着眼点ですね。大人が楽しむためには、子ども騙しじゃいけないと。
-
浅:
いやいや、子どもだって、そうよ。親のスマホを触りたがるからとオモチャのスマホを渡してもダメで、本物のスマホを触ってくる。やっぱり分かるんだよね。本当に飲んでいいの?ってドキドキするくらいの本物感がないとね。だからよく「王冠は栓抜きがいるからスクリューキャップにしたら?」という人いるけど、それじゃ意味がない。ビールは王冠でしょ?
「今までにない」は、
リスクではなくチャンス!
店長のこのまじめな遊び心は、子どもと大人の心をギュッと掴み、すぐに人気メニューとなりましたが、商品化への道はそう簡単ではなかったそうです。
-
浅:
最初に依頼した飲料メーカーには「は?何本?1000本?できんできん!」と逆に怒られてしまって。他にも探してみたんですが「大手も作っていない商品なんか売れないから、うちはやらん」と…なぜ、大手がやらないからこそ、チャンスだと思わないのかと。どうも飲料業界は何十万本単位で製造するのが当時の常識だったようで。半ば諦めていた時に、友桝飲料のホームページの「オリジナル飲料つくります」という一文を見つけてメールを送ってみたんです。
- メールをもらって社長はどう思われましたか?
-
友桝飲料代表
友田社長
以下、友まず「こどもビール」ってネーミングが面白いなぁと思いました。ちょうど新規事業(のちのODM事業)を立ち上げたばかりで、うちでしかやれないことをやりたい!と思っていましたから。他では怒られたかもしれませんが、うちでやりましょうとすぐに返信して、翌日には打合せしてたんじゃないかな。
-
浅:
今では想像つかないと思うけど、当時の友桝飲料はまだまだ小さなラムネ屋さんで。おじさんたちがバタバタと配達に出る中、事務所の隅っこでゴニョゴニョ打合せして。僕らにとっては完全アウェーの雰囲気でした。軍平さん(二代目/現社長の祖父)は僕らを遠くから眼光鋭く見ていたよね。(笑)
-
友:
いやいや、心配だったんでしょう(笑)。それまで自社商品と大手企業の委託商品の製造のみでしたが、僕としては技術と設備を活かし、個人で飲料を作りたいと願う人たちの受け皿になろうと、業界初の試みとして小ロット生産のプロジェクトを立ち上げたばかりでしたからね。
ちゃんと遊んで、
ちゃんと作ろう。
最初の半年は10ケース(240本)ラベル替えのみで下町屋で販売をしていました。その後、友桝飲料サイドから中身も改良を加えたいと提案します。ところが浅羽さんは「正直、僕はそんなに(中身は)気にしてなかった」と笑います。
-
浅:
社長がせっかくだから、ちゃんと中身までもしましょうって言ってくれて。最初は色々と難しかったんだよねー。
-
友:
当時は私と開発スタッフ一人のふたりでしたから。プレハブみたいな小さなスペースで試作に挑んでいました。本物のビール以上の泡立ちを作ることはできますが、泡立ちをよくすると甘くなってしまうので料理に合わなくなるんですよ。それだと本末転倒でしょ。それは浅羽さんは望んでいないので。
-
浅:
そうそう。僕にとって「こどもびいる」で重要な点は、王冠があって瓶があることなので。泡がボコボコ立つのはコップについだ後の話だったし、味は炭酸飲料のプロに任せた方がいいものになると思っているので。
-
友:
駄菓子屋のリンゴジュースのように甘くまとわりつく後味ではなく、下町屋さんのもんじゃ焼きや鉄板料理の邪魔をしない、爽やかな後味を目指しましたね。販売を開始してからも改良を続けて、現在の味に辿りついたんです。
クリーミーな泡立ち、すっと甘さが口の中を
通りすぎていく爽やかなのどごしを求めて、
肩まで泡まみれになりながらも研究を重ね、
平成16年「こどもびいる」は
下町屋限定で販売開始。
その半年後の夏、いよいよ店舗販売を
スタートさせますがーーー