第2話「指宿温泉サイダー」前編
「アロハ宣言」を市長がすると市職員のみなさんがアロハ姿で働きだす町、
湖には幻の恐竜「イッシー」がいると噂される町、それが鹿児島県指宿(いぶすき)。
今日は、そんな陽気な町の地サイダー「指宿温泉サイダー」のおはなし。
主人公は「指宿温泉サイダー」の発案者、湯砂菜企画の倉本哲さんです。
登場人物
指宿温泉サイダーの発案者
湯砂菜企画 代表取締役
倉本 哲(文中:倉)
こどもびいるの発案者
有限会社ウィロー代表
浅羽 雄一(文中:浅)
電子部品とオクラネットと地サイダー?
鹿児島市内から指宿に入ると、遠くには開聞岳が姿を見せ、車窓にはのどかな風景が広がります。サイダーの企画開発に携わったウィローの浅羽氏と共に倉本さんにおはなしを伺います。まず最初に案内されたのは、一つの大きな工場でした。
- 随分、立派な工場ですね、ここは?
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倉本
さん以下、倉電子機器を製造する「有限会社エール」です。
ここで代表を務めています。 - えー、本業は全く異なるお仕事なんですね。なんでまたサイダーを?
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倉:
工場はどうしても発注を待つ、受け身の仕事になります。だから今後は、自分たちの商品を作らないといけない、日頃からそう思っていました。それにサイダーに専念できるのも、ここの仕事があるからです。今は工場を経営しながら、地域資源アドバイザーをしています。実はこの工場でオクラネットも作っているんですよ。
- オクラのネット?ですか?あの緑の?
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倉:
はい、そうです。あまり知られていませんが、指宿はオクラの生産日本一なんです。でもオクラを入れるネットは県外のものでした。そこで指宿市からの依頼を受けて弊社で生産するようになったんです。さらにネット製造の技術を活かして、地元で採れた竹炭を繊維に練り込んで、抗菌性の高い洗顔ネットも作っていますよ。
- なるほど、地域の素材に付加価値をつけて資産に変える。地サイダーと同じですね。
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倉:
そうです。「指宿温泉サイダー」を作る前は、全く商品開発はしたことがありませんでした。ある時、商工会青年部で町おこしのために地元名産を生かした特産品開発を検討することになって。私は長崎県出身で、地元ではないんですが。長崎の実家へ手土産を探した時に、鹿児島のお土産しかなくて、もっと指宿ならではのお土産が必要だと感じていました。長崎の「雲仙(うんぜん)レモネード」の存在も知っていましたし、それならば「唐船峡」の湧水を生かせるのではと。この名水に新しい価値をつけて発信すれば良いのではないかと思ったんです。
楽しかったハネムーンをもう一度。
「唐船峡」(とうせんきょう)の湧水は、6400年前の火山活動でできた九州最大のカルデラ湖・池田湖の伏流水。環境省・平成の名水百選や国交省・全国水の郷百選のひとつに選ばれた名水です。この水に、倉本さんは着目しました。
- 「唐船峡」に入った途端、体感温度が下がります。避暑地にぴったりですね。
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倉:
毎年多くの方が唐船峡を訪れて、湧水による素麺流しを楽しんでいます。湧出量は1日約10万トンという膨大な湧出量を誇ります。この水を活かせないかなと思って。当時、雲仙サイダーを作っている友桝さん(友桝飲料)に打診してみたんです。そしたら友桝飲料のスタッフさんとウィローの浅羽さんと八智代さん(デザイナー)が来てくれて。
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浅羽
さん以下、浅最初にお話を聞いた時は、全く分野の違う工場で売り場も持たずに大丈夫かなと心配したんですけど、倉本さんの指宿愛あふれる前向きな姿を見て、これはいけるのではないかと思って。
- どのようにプロジェクトを進めていったんですか?
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浅:
とにかくサイダーだけではなく色んな雑談を繰り返していきましたよね。その中で、開聞岳やハイビスカス、菜の花のこと、そして、ネッシーが流行っていた頃にイッシーがいると騒がれた池田湖が近くにあること!とか、いろんなことが分かってきたんですよね。
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倉:
そうですね。数十種類の地サイダーを並べて試飲したり、「果汁を入れよう」「色をつけたらどうか」など、仕事を終えた午後8時ごろに青年部のみんなが集まってきて、よく話し合いました。当時、九州新幹線の開通や篤姫などの時期にも重なるということで、最終的には「団塊の世代の人たち、ハネムーンのメッカの指宿へ、もう一度きてほしい」という願いを込めたサイダーにしようということになりました。
指宿の愛がつまったデザイン
指宿を旗印に掲げるも、青年部は開聞岳付近のメンバーだったため、メンバーを広げる必要があると感じた、倉本さん。指宿で家族湯を営まれている方や行政の方、酒屋さんなどにも声をかけ「指宿温泉サイダー」は大所帯となります。
- 多くの方々の意見を取り入れて、まとめていくことは大変ではなかったですか?
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倉:
そうですね。確かにデザインを決める時は大変でしたね。すべての意見を浅羽さんに伝えていたら、浅羽さんに言われたんです。「フェラーリを四人乗りにしたり、クッションを変えたりしたら、それはもうフェラーリではなくなってしまうわけで、いろいろ盛り込むとフェラーリの良さというものがなくなってしまう。いろんな意見を取り入れるよりは、デザイナーの感性に任せた方がいい」と。今でも覚えています。「それでは任せます!」といって出てきたものが、現在のラベル案でした。それがもう、イメージにぴったりで。これでいきましょう!と即決したんです。
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浅:
そんなこと言ったかな。ラベルにイッシーだけは絶対に入れてって言ったのは覚えているけどね(笑)。倉本さんが全体をまとめていたから、そういう風にエイヤっと号令をかけて、これでいくぜ!と最終的に決をとってくれたから。そういう人がいないと、うまくいかないんですよね。
- そうやって、この指宿愛にあふれたラベルができたんですね。
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倉:
全体的に新婚旅行(ハネムーン)のメッカだった60年代、70年代をイメージしています。王冠にはハイビスカス、ラベルにはアロハ姿のカップル、開聞岳、菜の花、ヤシの木、池田湖、砂蒸し温泉のパラソル、イッシー。地元の観光名所が全部詰まっています。
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浅:
そう、イッシーがね(笑)。会議の途中「イッシーブームは昔のことで知らない人がいるから、どうしましょう?」という話にもなったけど、僕は絶対イッシーは入れてくれと。だって「商品の中にあるちょっと引っかかる面白い部分」があることが大事で。そこを理解してもらえたのか、「この人に言っても聞いてくれない」と諦めたのか(笑)、無事にイッシーはラベルの中で泳いでいます。今でもイッシーを見つけてくれる人をネットで見かけるんだよね。
レトロで、可愛くて、そしてちょっぴり面白いサイダー。
「指宿温泉サイダー」で検索してみると、たくさんの記念写真がヒットします。
それぞれの思い出の中にしっかりとサイダーがあるようです。
それにしても販路を持たない倉本さんは、一体、どうやって指宿温泉サイダーを育てていったのでしょうか。