念願のあの場所へ、、、人生38年にしてようやく行く機会にめぐりあえた。
今回のルートは名古屋から木曽福島を通って甲府へのルート。
まあ、日本ひろしと言えど、今時こんなに遠い場所ってのもめずらしい。
車中別世界の雪景色なんかに囲まれながら、、、歴史上最も名高い、甲斐の国
の戦国大名「武田信玄」について思いを馳せてみた。
子どものころから大好きな歴史シュミレーションゲームに出てくるその大名は、
それはそれは強大で、他家が羨むほどに、配下に文武に優れた有能な武将を多く
かかえ、最強の騎馬軍団を従えたその威容は、文句なく戦国最強軍団であったで
あろう。
まあかの信長でさえも、信玄生前にはひたすらに貢物を送って、友好関係維持
に心血を注いでいたことからも疑いの余地はない。
ではなんで、そんな強大な国が、英雄の死後10年持たずに滅ぼされてしまったのか…
このことがどうも昔から引っ掛かって離れない。なんとなく本を読んだり、
いろんな知識を知ることで漠然とは分かったような気にはなるものの、、、
今回の旅で、ひとつだけ実体験で分かったことがある。
「地の利」
ゲームの場合信玄のお膝元である甲斐信濃(山梨や長野県)の国と美濃(岐阜県)
は陸続きで、攻めるときにはすぐ攻めることもできる位置関係である。それが、
実際に移動してみると、それはもう21世紀の現代でおいてさえ、これほど辺鄙な
場所はないというほどの環境であり、ここを歩いて、馬に荷物を積んで一大軍事
行動を起こすとなるとちょっと信じられない労力が必要であろうことが容易に想像
がつく。
*ちなみに戦国時代をゲーム感覚で言うとその上がりは「京の都」を支配すること。
ということは信玄は上がりを目指せば、どうしてもこのルートを通って京へ軍事行動
を行う必要があったということ。
この生れ落ちた場所に由来する「地の利」ってものを考えたとき、もうそれだけで、
人の人生の大半を決定してしまうそんな理不尽な運命なんかを感じないではいられない。
地の利を悟って夢をあきらめて人生を送るのか、地の利の不利を克服しようと必死に
人生を生きるのか、その先の運命がどうなるか(場合によっては後世の子孫にとって
大変な禍を残すことになるかもしれないことすらも腹におさめて…)
信玄はその人生の最終局面で、信長とは直接対決はしていないものの、
信長、家康連合軍を完膚なきまでに叩き、夢の途上にて生涯を終える。
己の人生において負けることの無かった信玄であっても、その子勝頼や一族の
行く末を知った時、その胸に去来する思いとは…
武田信玄という戦国最強の武将について考えるとき、1代で見た時と、3代で見た時の
この落差の違いなんかにこそ、どうも興味が尽きない真理の秘密があるようだ
…つづく
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