スワンサイダーと長崎街道

肥前と長崎街道

長崎街道とは?

 江戸幕府は、信長、秀吉時代の成果を引き継いで、東海道、中山道など五街道を中心とする道路網を全国に整備した。
五街道と連絡する道路を脇往還または脇街道と呼んだが、長崎街道は、この脇街道の一つで、北九州市(小倉北区の常盤橋の東たもと)と長崎市を結ぶ全長約二百二十キロメートルのコース。
福岡県内は、ほぼ現在の国道200号線沿いに黒崎、木屋瀬(こやのせ)、飯塚、内野、から冷水峠越えに山家(やまえ)、原田の筑前六宿を通る。佐賀県では、JR長崎本線とほぼ並行。田代、轟木(とどろき)、中原、神崎、境原、佐賀、牛津、小田、鳴瀬、塩田、嬉野を経て、長崎県に入り彼杵(そのき)、松原、大村、諫早、矢上、日見、長崎を結んだ。旧藩時代は、七泊八日の行程だったという。
参勤交代の主要道路であったことはもちろんだが、この街道の特色は、鎖国政策の中で認められた唯一の海外貿易港長崎が西の起点であったこと。通商の特権を得たオランダを通じて、医学をはじめとする西欧思想、西欧文化がこの街道で東上した。また西欧や東南アジア各地からの物産の輸入も盛んで、これらの諸物質は江戸、京都、大阪、堺、長崎の商人が『御用』の旗を立て東へ運び上がった。

江戸・幕末そして明治へ

 国際色も豊かに華やかな人物往来があった街道で、毎年正月に江戸に参府したオランダカビタン、西欧医学に目を開かせたドイツ人医師シーボルト、福沢諭吉ら蘭学修業の英才、吉田松陰らの開国の志士ら、あげればきりがない。
弊社創業以来の本社社屋は、長崎街道牛津宿の旅籠を初代友田桝吉が改築して事業を始めており、もしかしたら、教科書に出てくる歴史上の人物も、疲れた体を牛津の宿で癒していたのかも・・・

 

シュガーロードの誕生と歴史

お菓子の道!シュガーロード

 北部九州には各地に有名なお菓子処が多い。たとえば長崎のカステラ、佐賀のマルボーロ、筑豊の饅頭などなど。
そして、これらのお菓子処を地図上に落としてみると、長崎から小倉を結ぶ長崎街道に一致するのだ。
この長崎街道、現在では別名「砂糖街道(シュガーロード)」と呼ばれる所以でもある。
その昔、日本は外国との交流を禁止する鎖国制度をとっており、当時、日本では長崎が唯一の貿易港として開かれていた。そしてその貿易品の一つとして輸入されたのが、それまで日本には存在しなかった砂糖だ。長崎でしか入手できない砂糖が長崎街道を通って江戸へ運ばれていく。その間、砂糖が各地でお菓子に形を変えてもおかしくはない。


 この街道の起点・長崎で有名な菓子といえばカステラである。長崎市船大工町に店を構える「福砂屋(ふくさや)」の初代が、ポルトガル人からカステラの製法を伝授されたのは、寛永元年(1624年)のことだったという。カステラはもともとの名前を「カストルボル」と呼び、スペインのカステーリャ地方のお菓子だった。長崎は砂糖の入荷地だから材料となる砂糖が容易に入手できたと推測できる。さらに佐賀のマルボーロも、大正3年に発行された「佐賀商工案内」に、正確な年代ははっきりしないが、肥前の御用菓子屋・横尾市郎右衛門が長崎で和蘭(おらんだ)人より伝授されたとある。実は、鎖国当時の佐賀・鍋島藩は長崎の警護役を務めており、その関係から砂糖の入手が他の藩より容易であったらしい。砂糖を通して肥前の国、佐賀と長崎は密接に結ばれていたのだ。 

 

お菓子・砂糖文化が開花した佐賀県!

 明治時代以降もこの伝統は続き、小城羊かん、千鳥饅頭など全国ブランドのお菓子も数多く誕生した。また、佐賀県からは、森永製菓の森永太一郎、江崎グリコの江崎利一という、日本屈指の菓子メーカーの創業者も誕生した。
このように、近年では単純に「砂糖が運ばれた道」という意味ではなく、「貴重な砂糖がもたらした文化の道」として格別の意味を込めて長崎街道を「砂糖街道(シュガーロード)」と呼ぶようになった。
シュガーロードの宿場町で、創業者友田桝吉は当時の最先端商品であるお菓子やラムネの製造事業を開始したのである。

 

ラムネ・サイダーの誕生と歴史

ペリーが日本にレモネード(ラムネ)を持参

 嘉永6年(1853年)にアメリカのペリー提督が浦賀に来航した時、日本に初めてラムネがもたらされたと伝えられている。当時のラムネは、現在のような玉栓ではなく、口栓はコルクで、これを針金でびんの首に結びつけたもので、今のシャンパン瓶の栓のようであった。その形がキュウリに似ているところから「キュウリ瓶」あるいは瓶の底がとがっていたのでトンゴ瓶と呼んだと伝えられている。

 

 

国産第一号は肥前(長崎)の国で

 ついで慶応元年(1865年)、長崎の商人藤瀬半兵衛が、外国人からレモネードの製法を習い「レモン水」と名付けて売り出した。これが邦人製造家の元祖、国産第一号であろうと言われている。日本における清涼飲料の誕生はなんと弊社創業の地、九州は肥前・長崎が発祥の地となっている。ただ、「レモン水」という名は定着せず、「レモネード」という言葉がなまって「ラムネ」と言われるようになった。このようにレモネード(ラムネ)は、まず長崎で製造が開始され、次いで神戸、横浜という順に伝わったようである。

 

 

 

ラムネ・サイダーの誕生

 サイダーの語源は英語でリンゴ酒を意味する。日本ではなぜ、酒でない炭酸飲料をサイダーと呼ぶかと言うと、日本ではじめていわゆるサイダーが発売されたとき、シャンペンサイダーという複合香料が用いられたためである。さらに三ツ矢サイダー、金線サイダーなど、日本の代表的な製品がサイダーという言葉を用いたため、これが代名詞となったようである。 シャンペンとはいまも祝い酒として用いられている「シャンパン」の意味であり、シャンペンサイダーとは、このシャンパンの風味とリンゴ酒の風味をミックスしたものという意味である。すなわち、この複合された風味の炭酸飲料がシャンペンサイダーであり、略してサイダーとなった。
さらに、のちには、瓶の形から玉栓を用いたものがラムネ、王冠を用いたものがサイダーと呼ばれるようになった。

C 青梅昭和レトロ商品博物館

 

 

明治・大正・昭和・平成から未来へ

 明治17年(1884年)には、大阪で初めてラムネの製造をしたのは洋酒の製造に従事していた橋本清三郎が最初であったといわれる。「キュウリ瓶」がすたれて玉瓶、いわゆる玉ラムネが流行しだしたのは明治21年(1888年)頃からで、明治23年(1890年)東京の洋水社により日本人によるラムネの販売が企業化され、東京全市にわたって玉ラムネが売り出され次第に各地で製造が行われるようになった。その後、玉ラムネだけがラムネと呼ばれている。
戦後、業者の乱立、乱売により、設備の登録、出荷数量の制限等調整事業を行ったが、地方のラムネ・サイダーの製造は極めて小規模な手工業的の域を脱し得なかった。さらに、昭和31年(1956年)頃より大手資本による「コカ・コーラ」事業が本格的に開始され、全国の中小零細企業によるラムネ・サイダー業者は次々と廃業に追い込まれ、その数を急激に減らしていくこととなった。
しかし、昭和47年(1972年)頃より、統一商標化が進み、さらに洗びん、びん詰工程の機械設備も全自動化され、品質レベルの向上を図るとともに、我が国独自の飲料文化であるラムネ・サイダーを次世代へ継承していくような動きも近年各地で見られるようになった。

 

スワンサイダーの誕生と歴史

創業明治三十五年

 明治三十五年(1902年)、長崎街道(別名:シュガーロード)は牛津の宿場町で弊社創業者友田桝吉は当時非常に貴重だった砂糖を使って、当時の最先端商品であるお菓子やラムネの製造事業を開始している。これは、日本国内でラムネが作られはじめてから10 年ほどのころであり、日本における清涼飲料の草創期にあたる。社名の「友桝」は、創業者・友田桝吉の名前を略したもの。新しもの好きだった桝吉の性格と、砂糖の入手が比較的容易であったという立地条件が幸いしたようである。創業当時は手動式の機械を使って製造し、人力車に積み込んで、周辺の小売店や民家に売り歩いた。もの珍しさから人気を集めて事業の滑り出しは順調だった。

昭和初期

 ところが、戦争で事態は一変。鉄でできていた製造用の機械は軍に供出させられ、初代桝吉が死去。跡継ぎの2代目軍平も戦地に赴き、飲料の製造はできなくなった。
戦後、軍平が復員。砂糖、炭酸ガス、酒石酸等の原料の確保はなんとかできたが、肝心の製造機がない。探しまわった末、兵士たちののどを潤すために軍艦に載せられていた機械を買い受けることに成功。昭和22年(1947年)、製造再開にこぎつけた。

 

サイダーの歴史と栄枯盛衰

 昼間は販売にまわり、夜製造して、工場の片隅で睡眠をとる生活。三輪自動車を手に入れ、伊万里や唐津まで足を延ばすなど販売エリアを県内一円に広げたがなかなか売れない。「あのころはみんなそうだったが、私も死にものぐるいだった」(2代目:軍平談)
60年代、ようやく軌道にのったところに、国内飲料業界にとって“黒船”ともいうべき“コーラ”が上陸した。ストレートな味わいのラムネ・サイダーに比べてコーラは初めこそ「薬くさい」などと言われたが、アメリカ文化のかっこ良さで人気に。一方で戦前には県内に28軒あった同業社が次々に姿を消していった。
そんなある日、軍平は郵便を届けに来た配達員を見て「サイダーを宅配したらどうだろう」と思いつく。季節感の強いラムネと違って年間を通して販売できるサイダーの宅配事業を昭和42年(1967年)開始した。重たいビンを自宅まで届けてくれるとあって大好評。それまでは年間20万本にすぎなかったサイダーが300万本の大ヒットとなった。
しかし、その後は飲料の多様化、缶・PET容器の需要拡大、流通チャネルの変化等の時代の流れのなかで、ビン入りサイダーの需要は年々減少し、最近では最盛期の1/100程度にまで落ち込み、従来からの地元のお客さま専用として特別に数量限定して製造する状況が続いていた。 

 

スワンサイダー復刻版

 平成17年(2005年)、戦前から販売していた「スワンサイダー」を復刻発売。創業以来一貫してこだわってきた上質砂糖のみを使用し、弊社オリジナルの香料、そしてなにより今ではほとんどなくなってしまった瓶入り王冠で強めの炭酸を実現し“昭和の味”を徹底して再現しました。上質砂糖に強い炭酸という昔ながらの製法により、喉越しの良さと、すっきりした後味がお楽しみいただけます。
また、昭和初期より使用している弊社オリジナルのロゴを復活させ、薄い青色の瓶にレトロ風のラベルと、パッケージ・デザインにまで徹底的にこだわって、全国のお客さまへご案内できるようになりました。
昭和のサイダーの味を今に伝える友桝飲料の「スワンサイダー」を是非御賞味下さい。

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